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-5. 伝統と革新 技術と創造

澤田さんって先ほどからご自分のことを鍛冶屋、とおっしゃってますけど、
職人さんでもありつつ芸術家でもあるんですよね?

技術的には、やれて当たり前、できて当たり前のことがまずあって、
その先に、誰に何を表現するか。作品として何を納めるかがあるんだと思うんです。
だから、やっぱり最初は、基礎的なこと、技術的なことをちゃんと学ばないといけない。
で、最初は「誰に何を学ぶか」が重要だと思うんですね。
例えば、高校生がこの先の進路について考えてる、迷ってるとするなら、
漠然と「どこの学校に行こうか」と考えるより、
「誰にどこで何を学ぶか、何を身につけるか」を考えた方がいいと思うんです。
「どこの学校に行けばいいのか」じゃなくて「この先生に学びたい!」という視点。
その後に、自分は何を表現するか、お客さんや世の中に対して
何を提案していくのかが勝負になる。
20年やってきて今にして思うのはそこですね。

澤田さんは鉄の先生から、技術的なものと創造的なものの両方を学ばれたんですか?

先生は創造的なところは何も教えてくれないです。
技術的なことだけ。
で、そこで一通り修業を終えて卒業する時に、
最後に「これ、持って行っていいよ」って言って
持たせてくれたのはこれなんです。

鉄を加工するために必要なごく基本的な技法ですね。
穴をあけるとか曲げるとか…、それを教えたよ、あとは好きにどうぞ、って。

なるほど…素敵ですね

修業時代はデザインという作業はできないんです。
だから技術的なところを徹底的に学んで、あとは自分で応用していく。
基本的な技術を応用して、独自の技法で独自のデザインで作品を作って、
その地域に根づいて残っていく。
日本にこういうぜんぶ一貫してやれる工房って少ないんですよね。
効率を求めて分業制にしちゃう。
独立した工房として、作家として生き残るためには、基本的な技術の習得も必要だけど、
デザインというか創造力がないといけないんです。

総合力みたいなものなんですね。
BMWのテクニカルマイスターも、エンジニアは技術だけじゃなくて、
オートバイの店を経営するすべてを学んでこそ一人前だぞって。
ドイツの伝統的な技術と、それを生かしていくためのノウハウが求められるんです。

営業、デザイン、トーク、そして、実際にものが作れる、と、
どれかひとつ欠けてもダメ。
それが一貫してできてはじめて工房が成り立つ、経営できる。
ものは作れるのにデザインできないとか喋れない、だと、
日本の従来からある分業制になっちゃう。家内制手工業ですね。
技術は他人に教えない。一子相伝の世界ですね。
それが悪いとは言わないけど、それだと衰退していっちゃう。

BMWのメカニックの資格も、ボルト回すとかだけじゃダメで、
お客さんが何を求めているかを知る営業のスキルやお店の経営のことなど、
試験もそういう課題が出されるらしいんですね。
技術があるのは当たり前。習得するだけでもすごくたいへんなんですけど、
最終的には人間力ですよね。生き方そのものが問われる、みたいな。

でも僕なんかは、他の人が見ると
たいへんな仕事をしてると思われるかもですけど、
朝起きたら、さあ今日も図画工作の時間が始まるぞ!って(笑)
そんな感じで楽しくここまでやってます。
やらされてるわけでもなく、ね。

-6. 革新を追い求めていたら伝統を支えていた?

こういう門扉(もんぴ)とか、看板というかサインも作ってるんですよ。
この間までは、でっかいシャンデリア作ってたり。
注文が来たものは、「はい!できますよ!」って言いたいんですよね。
鉄の仕事って需要が少ないので、何でもできますよって言いながら仕事を広げてきたんです。

街の中に自分の作品があるって素敵ですね!

でもまあ見たくないものもあったりしますけどね(笑)
家の玄関の前に門扉を付けるっていう文化は日本にはあまりないんですよね。
大月の修業時代はそういう仕事が東京からけっこうきてて、よく作ってたんですけど、
こっちに帰ってくると、門扉どころか、そのへんのお家、玄関開いてますからね(笑)
門扉なんかつける理由がないんですよ。だから違うものを作るようになったんです。

このドラゴンいいですね!

これは麻布十番のピザ屋さんの窯の上に付けたものなんですね。
窯の上に龍がいる、なんておもしろいでしょ?
あ、フェンダーの前に龍つけましょうか(笑)

いい!かっこいい!事故に遭わなそう(笑)
コラボはこれで決定!かな?(注:実現を検討中です)

あとは、こういったオブジェとか、
鎌倉の鳩サブレで有名な豊島屋さんの内装とか金沢城とか…
これは上野の寛永寺の門のところですね。
元は日本の鍛冶屋がやってたんですけど、やれる人がいなくなったんで、
洋鍛冶の私が叩き出して作ってるんです。
皇居の坂下門もやらせてもらったんですが、
「鍛冶 澤田健勝」って名前を入れさせてもらってます。
400年ぶりの修復なんですって。

へー!すごい!

逆に言うと400年ももつんですね。
皇居って元は江戸城なので、江戸の職人からしたら日本一の仕事。
とても名誉なことなので名前を入れてるんです。
と言うか、名前を入れるところまでが仕事なので
入れてくださいとオーダーされます。

400年名前が残るなんて、かっこいい…
でも作るのはたいへんだったんでしょう?

古いものを工房に持ってきて、まったく同じ技法で作らないといけないんです。
宮内庁の方がそうしてくれ、と。
というのも、また何百年後かに誰かがこれを見て、同じ技法で作らなきゃいけないんだけど、
その技術が途絶えてしまうと作れなくなっちゃうので、まったく同じ技法で、
最新の機械とか絶対使わないでください、って。
後でわかるようにハンマーの叩き跡とかもわざと残してあるんですよ。

なんか…すごいですね…

つい見過ごされがちですけど、古くからあるものを残すって、
そうやってちゃんとメンテして保存してるだけじゃなくて、
技術の継承という役割もあるんですね。

洋鍛冶さんなのに和鍛冶の技術を継承してる…
「海外の伝統を追求して革新してたら、日本の伝統を継承してた」っていうすごい話です…

オートバイもそうですけど、後世に残りますからね。
だから本当にいいものを作らないと。
僕らの仕事は、見る人にとっては、パッと見て「きれいね」「すてきだね」で
終わりかもしれないけど、作る側にしてみると、その一瞬で終わるわけじゃない。
残る。残ってしまうんです。そこがいちばん怖い。

そういう覚悟を背負って、毎日、熱い鉄を、アツい思いで加工されてるんですね…
じゃあ最後にその作業の様子を拝見していいですか?

めっちゃ暑いですよ(笑)

覚悟してます!
今日はいいお話をありがとうございました!

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