• SHARE
  • Share to X(Twitter)
  • Share to Facebook
-4. 成長はぜんぶ勘違いだった?

うわー!素敵な中庭!
この中庭に向かってずっとお仕事されてるんですね。

あ、これは粘土でできてますね。
あ、彫る前にこうやって粘土で作るんですね?

いきなり彫るんじゃなくて立体スケッチを作るんです。
クルマで言うクレイモデル。
木彫は引き算しかない、削り取る作業しかできないんですけど、
粘土は足し算ができるので、こっちでプラス・マイナスしながら
イメージを作ってから木を彫りだすんですね。

皆さんこうやって作られるんですか?

仏師はこうやる方が多いみたいですね。

いきなりこんな大木からどうやって彫るんだろうって思ってたんですけど…

そういう方もいますけどね。

この線は何ですか?

正方形の線を描いてそれを木に写していくんです。
で、彫るとその線は消えるのでまた描いて彫って。

途中の工程を見るのもすごくおもしろいですね。

桝田酒造 桝田隆一郎氏(EPISODE14登場予定)

満寿泉醸造元の桝田さんからは、岩崎さんはすごいよー。
でもここ数年でぜんぜん変わったんだよ。
二段階くらい突き抜けたんだよって伺ったんですが、
ご自分ではいかがですか?

そこは逆にお聞きしたいですね。どこが変わったんだろう?
ただ柿とか同じモチーフの中では、そういう感じはありますかね。
かっこつけてる柿じゃなくて、自然にただそこにあるような方向。
見る人によって、こっちの気取ってる柿の方がいいってなればそれまでなんですけど、
自分の中ではいい方向に進んでるかなって思ってます。

僕の中では、彫り物は明治期に頂点を向かえたと思っていて、
僕はずっとその後ろ姿を追いかけているんです。
ずーっとやってきて、ある時、ちょっとその後ろ姿を捉えたかな?
っていう瞬間が何度かあったんですけど、でもぜんぶ勘違いだった…
でも、それに気がつけたっていうのが、少し物が見えるようになったことなのかな、と。
そういう意味ではもしかするとステップアップしてきてるのかな?

岩崎さんのライバルって現世にはいないんですか?

新しいことをしたいっていう想いは昔からあるんです。
でも、明治期に頂点があって、少しでも頂点に近づいて、
その当時のものに並ぶようなものを今の時代に自分が作れたら、それこそ新しいと言うか、
それが「革新」というものじゃないかなって思います。
やってる人がいないしやれる人もいないし。
…でも、今のところぜんぶ勘違いだったんですけどね。

それは作品が出来上がってから気づくものなんですか?

先人が残してるものっていいものしかなくて、いいものだから残してもらえてる。
それに比べて圧倒的に足りないものがあるなっていうことに気づくんです。

-5. 「伝統」に追いつくことが「革新」

R18は「伝統と革新」っていうコンセプトがあるんですが、
伝統に追いつくことが革新なんだ。
伝統の中の最高のものを今の時代に再現できたらそれが革新なんだ。
っていうのはすごい衝撃を受けました…

同じものを作っても、見るものが違う。見てるんですけど見れてないんです。
要は、何を見てるかの違いで、先人にはぜんぜん及ばないです。
でもある時、あ、見えるってこんな感じなのかな?ってなることがあるんですね。
明治期に安藤緑山っていう作家がいるんですけど、その人の柿とか筍ってものすごいんです。
実は今『超絶技巧展』っていう展覧会をやっていて、私の柿と並べて置いていただいてるんですね。
『超絶技巧展』超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA

それはすごくありがたいんですけど、並べて見比べると、
ああ、またスタート地点に来たなあ、という思いです。
もっと頑張っていかなきゃなあと。

なるほど…

木彫って、ぱっと作れるものではないし、何百個も作れるものでもないし、
がむしゃらに練習できるものでもない。
だからこそ一つひとつに集中してやるんですね。
たくさん作品を作れなくてもいいと思ってるんです。
そこにも価値はあると。

私は「伝統」を踏襲して新しいものをつぎ込むのが「革新」だと解釈して、
100年前のものを現代によみがえらせたっていうオートバイの魅力を探りたいと
思ってるんですけど、「伝統に追いつくと革新」っていう捉え方もあるんだなあって…
100年間BMWがオートバイを突き詰めてきた中で出してきたのが、
最新のテクノロジーとかすごいスペックとかじゃなく、
むしろ、「オートバイって、感覚的に、感性で走るものだよね」っていうメッセージで、
ただ、それをポンと世に出されて、私たちはどうとらえていいかわからない。
どう遊んでいいかわからない。
でも乗ってると確かに楽しい。

「古きをたくさん知ることが革新につながる」「伝統に追いつくと革新になる」っていう
観点でR18を見返すと何か見えてくるものがあるのかな…?
われわれの解釈からすると、伝統的なものがあって、
そこに新しいものを足していこうとか継ぎ足そうっていう発想になりがちなんですけど…

普通はそっちが多いと思うんですけど、
僕がやってるジャンルは圧倒的に先人がすごすぎて、
そこにもう正解があるっていうか、そこがすごいんだから
そこに何かを足すなんて考えもつかなくて。
だから、まずは追いつくこと。
でも追いつけない。

私たちはこのオートバイの「伝統」をちゃんと把握してないかもですね。
さっきの話にもありましたけど、見てるようで見てないっていうか、
物質としては見てるけど本質と言うか真実を見てないというか、
「伝統」をきちんと把握できてないような気がしてきましたね。
すごいおもしろい話だな…。

オートバイと木彫では違うかもしれないですね。
僕がやってる木彫の世界は、技術も感性も明治期に完成されたものがあった、
と思っていますけど、クルマとかオートバイはそうじゃないですよね。

なぜあんな非効率なエンジンを100年も作り続けたのか、とか、
通り一遍の答はありますけど、なぜ昔の人があのスタイルがいいと思ったのか、とかって、
私たちはたどり着いてないように思いますね。
何となくこれが正解だって言われて納得してしまってる。
R18の伝統ってなんですか?ってぜんぜん問うてきてなかったなって。
先人たちもいろんな試行錯誤の末にそれを生み出してきたわけで、その苦しみとか、
なぜこういうスタイルにたどり着いたかとかまでは見てないですね。
「伝統に追いつくことが革新なんだ」ってすごい言葉をいただきました。

そこまで深い意味で話してたわけではないんですけど、
そんな風に思っていただけるのであればありがたいです。

BACK TO TOP